宗教 vs 無宗教
まず"考える"ってなんぞや。
「疑問に思ったことや心のモヤモヤと向き合うこと」
これが今の私の答えです。
疑問に思ったことは「山と海どっちが好きだろう」とかすごく単純なことから
日本の政治の 〇〇党は本当に今の日本を引っ張っていけるのか
とか難しいことまで、分からないことを
「いや、どっちでもいいっしょ」「知らなくても困らないし」ではなく、
自分の答えを出すことがまず1つ目の考えること要素かなと。
2つ目の考える要素は、自分の感情に対して向き合うことなのではないなんじゃないかと思います。
なんとなく不安を感じている時には、どこからその不安がくるのか考えてみる。
誰かとのコミュニケーションの中で、うまく伝えられなかった時には
たとえその場で言葉にできなかったとしても
後で「あの時、私は何を伝えたかったのかな?」と言葉にできるまで考える。
今の私の中での考えるはこの2つです。
今回は1つ目の「自分の答えを出す」を練習をしたいと思います。
議題は ”宗教 vs 無宗教 どちらが幸せか?”
ちなみに宗教とは
神または何らかのすぐれて尊く神聖なものに関する信仰。また、その教えやそれに基づく行い。
だそうです。
これを考えようと思ったキッカケはゲストハウスで出会った男性との会話からでした。
旅行中に宿泊していた際に、初めて会った男性と
たまたま世間話をする機会がありました。
神社の話から信仰の話になり、
私は信仰があった方が幸せ派
男性は信仰がない方が幸せ派でした。
なぜ私がその立場をとったかというと、
☆信仰(教え)があれば人生の道標がある程度決まっている
☆自分の意思で決断する機会が少ない(←?)
☆自己決定に対して責任をとる機会も必然的に少なくなる
やっぱり文字に起こそうとすると、ピタッと当てはまる文章にできなくて
モヤモヤしますね...
継続は力なり。
前回より自分の頭の中のモヤモヤを言葉にできたらクリア!
i+1身につけよ
で、話がずれてしまった。
つまり、信仰は「〇〇してれば幸せになれるよ」「どんなことがあっても神様が
幸せにしてくれるよ」「あなたはこう生きていけば良いのよ」って決めてくれている
ような存在なのではないかなと思うのです。
そして、神様の温もりに支えられて心が満ちた状態で
最期を迎えられるのではないでしょうか?
それに対して、信仰がないと全ての選択肢の中から自分で決断して
その決断に対して「決めたのは自分」と責任をとって生きていかなければ
なりません。(他の人に決断を委ねる場合もありますが....)
それってある意味不幸せじゃないですか?
自由だからこそ責任が出てくる。
死ぬ間際まで、自分がしてきた人生の決断を後悔するかもしれないし
たとえそれがベストな選択であったとしても
「本当にあっていたのか」と思い悩むかも知れない。
何をもって幸せとするかという話になってしまいますが、
もし、人生の終わりに心が満ちた状態でいられることが幸せとするならば
やはり今の私は「宗教=信仰があった方が幸せ」なのではないかと
考えました。
これから様々な人に出会い、いろんな事を学んでいく中で
柔軟にその都度、自分の答えを考えていきたいと思います。
最期に、私はこの文章を書いていて実感したことが2つあります。
1つ目→宗教について知らないことが多い。
信仰があれば自己決定の機会が少ないって
書いたけど本当にそうなのかな?
いろんな宗教あるしなんだか固定観念を抱いてしまっている気がしてならない。
仮説立てて検証。
2つ目→モヤモヤ言葉にするには訓練必要
この文章もしっくりこない箇所たくさんあってむず痒い。
インプットとアウトプット
i + 1を頭の隅っこに置いていたい。
ではでは
皆様、良い週末をお過ごしください!
おわり